作者について

新美南吉(にいみ・なんきち)


年齢
できごと
1913年(大正2年)
愛知県半田町(現在の半田市)に生まれる。
父は渡辺多蔵、母りゑの次男。本名は正八。
1917年(大正6年)4歳母が亡くなる。
1919年(大正8年)6歳継母「しん」を迎える。
1921年(大正10年)8歳実母りゑの実家の祖母の養子となる。
(新美姓を名のる)
1928年(昭和3年)中学3年同人誌「オリオン」に作品を出す。
童話「帳紅倫」を書く。
1931年(昭和6年)18歳半田中学校卒業。
母校、半田第2尋常小学校の代用教員として1学期間つとめる。
鈴木三重吉の推薦で(すいせん)で「正坊とクロ」童話「帳紅倫」を赤い鳥に発表。
1932年(昭和7年)19歳東京外国語学校英語部文化入学
北原白秋の門下、巽聖歌宅に寄寓する。巽氏の童謡同人誌「チチのキ」に加わり、「お月さま」を出す。赤い鳥へ「ごんぎつね」「のら犬」を発表。
1933年(昭和8年)20歳昭和6年以来25編の発表となる。
1936年(昭和11年)23歳東京外国語学校卒業
軍事訓練に出なかったため志望の中等教員免許状がもらえなかった。
卒業後、雑貨貿易、小学校、杉治商店をへて、安城高等女学校に就職。

<南吉27歳の時の日記>
勤労奉仕続く、ぼくの教育は芸術家的教育だ。ぼくの日記は、芸術家的日記だ。ぼくは2年教育にたずさはってきたが、まだ教育者のやうに物を見ることができない。ぼくはしんから芸術家的だ。その質は、兎も角としても、あるいは教育、愛をもって冷酷に



1941年(昭和16年)28歳単行本「良寛物語、手まりのはちの木」を出す。
童話「帳紅倫」を書く。
1942年(昭和17年)29歳第1童話集「おぢいさんのランプ」(広く世の中に名を知られるようになったきっかけ)「百姓の足、坊さんの足」「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」「和太郎さんと牛」童話「帳紅倫」を書く。

<南吉29歳の時の日記>
一月一三日、病勢進行し、死を覚悟する。
1943年(昭和18年)30歳1月2日 遺言を巽聖歌に送っている。
3月22日 咽喉結核により30歳で死去。
9月10日 童話集「牛をつないだ椿の木」が刊行。この中に「手ぶくろを買いに」が入っていた。
(1933年12月26日作、南吉20歳の時の作品)

半田市立亀崎小学校のお友達が作ってくれた情報。

「ごんぎつね」について

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