佐賀市立  春日小学校
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石井樋(いしいび)について

石井樋全景大和町は佐賀市の北どなりの山側にあります。佐賀にお城ができた頃(今からおよそ400年ぐらい前)、城の中やまわりで生活する人たちが水をたくさん使うようになり、また水田にも多くの水が必要となりました。佐賀藩内には、嘉瀬川から別れて流れ込む多布施川があり、その多布施川は嘉瀬川から井ぜきをつくって水を分けて流れ込むようにしていました。
 しかし、大雨が降ると嘉瀬川はたびたび大水となり、大変な被害がでました。あわせて井ぜきもこわされ、田や畑への水の取り入れができなくなり、水不足で農民たちは苦しみました。
 そこで成富兵庫茂安(なりどみひょうごしげやす)は、どのようにしたらたくさんのきれいな水を嘉瀬川から取り入れられるのかをくわしく調べ、考えました。ある時奥さんとの会話の中でヒントをもらい、石井樋のしくみを考え出したと言います。
 図をクリックすると大きな絵を見ることができます。
 こうずいを防ぎ、石井樋を守るために、根を強くはる竹林や二重の堤防、遊水池もつくりました。またたくさんの砂が多布施川へ入ってこないようなアラコやかめ石のしくみ、必要な水の量を取り入れるため石井樋現在の水門もつくりました。
 今と違って、機械もない時代にこのような大がかりな仕組みを農民たちとともにつくったのですが、完成までに12年かかりました。これは農民たちの田や畑の仕事をじゃまにしないように、わざと長い年月をかけたのだそうです。
 このようにして、佐賀平野には十分なきれいな水がいつも送られることとなり、米や野菜がたくさんとれるようになりました。
 今ではこのしくみは使われてはいませんが、今でも茂安は水の神様と呼ばれ、あちこちに茂安をたたえる碑が今も残っています。


←現在の石井樋付近(現在は公園化が進んでいます。)

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